先日、Twitterにてフォロワーとネットでの人間関係の話をした。
事の発端はこのblogの管理ページに表示されている広告で、アクセスアップツールでネットの輪を広げようというもの。
ネットで交友の輪を広げる事は簡単だけど、その人たちの内、どれくらいの人と本当の繋がりをもてるのか、というような呟きだったと思う。
それに対して一期一会と言う言葉を貰ったが、その時々の出会いはその時だけのものだから大切にしろと、そういう言葉だったよなぁ。
それを自分が大切にすることは簡単だ。
だが相手が自分との出会いをそう思ってくれないと、前途のように繋がりなど持てないのではないかと、そう思った。
その時だけの軽い関係、っていうのは今や珍しくない。
でも俺はそういうの苦手だなぁ。
たまにちょっとした知り合い程度の人とどこかですれ違って、目を逸らすなんて経験は多分、誰しもしたことあるんじゃないかと思う。
そうなるなら初めから関わりなど持ちたくないと思う。
軽い関係に慣れている人は目もくれずにすれ違うんだろうけどね。
小学校の社会の授業で大量消費社会なんて聞いたけど、今や人間関係や創作物もそうなのだろう。
話は少し逸れるが、ゲームに関してもSNSを兼ねたネットワーク系のゲームが現在の主流、もとい売れ筋だろう。
そういうゲームはボタン一つでできるミニゲームばかりだ。
作品としての価値は低く、そこは重要じゃない。
話題性と人がいればいいのだ。
話題性があるから人が集まり、人がいるから人からの目が気になったり、優位に立ちたいから、課金アイテムやアバターが売れる。
人が集まれば本当に面白い大作など必要ないのだ。
そこでは前途した軽い人間関係がそれこそ、か細い糸で網目のように張り巡らせれてるのだろう。
これは必ずしも正しい人間関係のあり方なのだろうか。
今やSNSはアドレス交換と同じように使われている。
呼び名はそれぞれあれど、アカウント毎にフレンド設定もできるはずだ。
そのフレンドが100人、1000人いたとして、全員と仲良くなるなど不可能だ。
人は誰かと繋がっていないと不安、誰かに良く見られたい、誰かの優位に立ちたい、と言う心理を良く付いたビジネスと感心させられる。
俺が欲しいのはそんな「フレンド」じゃなくて「友達」だ。
こんな薄っぺらな知り合いじゃない。
でも、誰だってその知り合い同士から始まる。
ネットでは顔やしぐさが見えないから、その人が自分に合うかどうかなど見て解からない。
外国人が顔や声を簡単に晒すっていうのは、日本じゃありあえないと思われてるけれど、自分が友達とどう知り合ったか考えればとても正しいことだ。
まぁ、ここまでこんな事書き綴ったけど、俺が冒頭で書いたツイッターのフォロワーはネトゲで知り合った人だ。
現実でも何回か会って遊んでいる。
ただし、知り合った頃からそろそろ10年弱は経っている関係だ。
ネットのみで本当に仲良くなるには多分、これよりもう少し少ないくらいの時間がかかるのだろう。
出会い系を擁護するつもりは全く無いが、こうやって書いてみるとネットの関係では限界があるから間違いではない。
出会い系で間違っているのは誰しもがヤリ目的なのと、それを促している運営だ。
ネットで知り合い、現実で出会うことは全く間違っていない。
俺はこんな風に重い人間だから友達も少ない。
でも人間関係を大量消費するつもりはないし、そもそも器用じゃないから出来ない。
この人間関係に関しては、ネットと現実の隔たりが薄くなる事を望みたい。
まず皆が皆、顔を晒して、差別もしなければ、実現不可能とは思うけどね。
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