年末を迎え、ロックマンとかFFとかメタルギアとか25周年と謳われる作品が色々出てきている。
と、言うことは、その四半世紀前はこれらが生まれた偉大な年、その前後もゲームの黎明期故に今まで続く名作から、今では考えられないような駄作まで生まれた時代なんだろう。
自分はほぼこれらと同い年だから、これらが生まれた瞬間の体験はしていないが、どれも好きな作品があるシリーズだ。
その25周年を祝って何処のメーカーも各自お祝いをしている。
ゲームの記念日なんだから当然、そのシリーズの新しいゲームが出る。
が、その新作ゲームは見た目が違うだけで中身はどれも同じもの。
ソーシャルゲームだァァァァァァッ!!
もはやソーシャルゲームが何なのか語るまでもないほど世間に浸透しているだろう。
たしかに25年も経てばゲームの形態は変わる。
15年前ならグラフィックが格段に進化してきた時代だし、10年前にはネットゲームが本格化してきた時代だろう。
ネットゲームはまずコア層からプレイヤーがでてきて、廃人なんてのも生まれた。
しかしゲームだって商売。
商売である限りは客を増やさねばならず、そのためにはライト層も取り込んでいかなければならない。
そのために最初に大きな成功を収めたのはニンテンドーDSだろう。
タッチペンによる感覚的な操作や、のんびりできる目的をもたないゲーム等が一般層に広まっていった。
こういうゲームは以前から存在はしていたが、更に一般に広め集客するために、創意工夫が惜しみなく詰め込まれた作品たちだろうと思う。
その創作意欲には敬意を表すべきだろうと思う。
そして更に誰でも出来るように誰でも持っている携帯電話を主な媒体に生まれたのがソーシャルゲーム。
これはもう本当に数字を増やしていくだけ、絵を集めるだけ。
ガチャと呼称されるシステムがどれにも存在するが、何が出てくるか分からないスリルが脳を刺激するのだろう。
コレのどこがゲームなのだろうか。
まぁ、気に入らんもんは感知しなければいいのだが、好きなシリーズの新作がどれもこれもこのソーシャルゲーム。
新作と聞かされれば心躍るものなのにソーシャルってだけで全てが裏切られる。
商売としては湯水のように金が湧き出るシステムだろう。
それで金を集めるのは企業としては当然だ。
ゲームが売れない時代だからソーシャルはまさに救世主だろう。
今年のゲーム業界はまさにソーシャルの年だった。
そのために法整備までされたのだから。
だが、どうか、来年はその金でちゃんとした「ゲーム」を作って欲しいと切に願う。
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