ようやっと読み終わった。
買ってから何ヶ月たったか分からない。
まだまだ読んでいない本が結構あるけど読み終わったら稚拙な文章でもいいから記録として感想を書いていきたい。
さて、映画「ブレードランナー」の原作であり、SFを語る上で必ず名前が挙がる「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」を読み終えた後、中々その世界から抜け出す事が出来なかった。
戦争によってまともに住むことが出来なくなった地球を捨て、宇宙開発のための奴隷として人間そっくりな自我を持つアンドロイドが存在する世界。
そんな殖民奴隷から脱するために地球へ逃亡するアンドロイド達とそれを追う賞金稼ぎの話、といえばよくあるSFチックなお話かも知れないが、その独特の世界観やアンドロイド達と人間達の関わり方で生命の在り方を問いかけてきたからだ。
汚染された虫一匹でさえ貴重な生命であり、動物を所持して世話をする事で生命を尊重していることをアピールして、ようやく人として認められる社会。
そんな中で汚染によっておかしくなった人たちはピンボケと呼ばれながら人として扱われず人目につかない場所で暮らし、人間で無いアンドロイドが脱走したとあれば賞金をかけられて命を狙われる。
誰だって生きようとしているのに扱われ方には大きな差がある。
社会の規範と違うものには共感を得られないからだ。
誰もが同じ体験をする事で共感を得るエンパシーボックスや、誰もが同じ気分になれるムードオルガンというアイテムに始まり、作中ではとにかく共感と言う言葉が出てくる。
主人公は作中でアンドロイド達やそれを取り巻く人間達と出会っていくわけだが、その中でアンドロイドに共感したり人間に共感できなかったりして自分が何なのか分からなくなってしまう。
ただ、アンドロイドは人生の経験が短く経験に基づいた共感をすることが出来ない。
人間の価値基準は共感なのかもしれない。
共感の出来ないものや得られないものには価値がなくなり、死のうが生きようがかまわなくなる。
作中で何度かアンドロイド達は生き延びるために躊躇なく命あるものを傷つける。
それは非道い事なのかもしれないが、人間が共感できないものに対してやってることとなんら変わりない。
ではアンドロイドと人間の違いは何なのだろうってそうおもってしまう。
科学が発展した世界に人間そっくりのアンドロイドが登場すれば、鏡写しのようになるのは必然なのかもしれない。
そう思うと発展の末にそんな物が完成しないことを願ってしまう。
うまくまとまっていないかも知れないが、とにかく考えさせられる名作だった。
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